信じるということ
先日、芦田愛菜さんの『信じる』についての定義がとても哲学的だと話題になりました。
私も彼女の発言を聞き、とても考えさせられました。
以下芦田愛菜さんの発言です。
裏切られたとか期待していたとか言うけど、その人が裏切ったわけではなく、その人の見えなかった部分が見えただけ。
見えなかった部分が見えたときに、それもその人なんだと受け止められることができる、揺るがない自分がいることが信じることと思いました。
揺るがない軸を持つことは難しい。
だからこそ人は『信じる』と口に出して、成功したい自分や理想の人物像にすがりたいんじゃないかなと思いました。
私自身、今まで信じてたのに…とか、裏切られた気持ちになる事は山ほどありました。
しかし、振り返ってみれば、私自身がそう思うように、相手も信じていたのに…とか、裏切られたような気持ちになっていたのかもしれません。
お互いに見えなかった一面が見えた時、その新たな一面を受け止め、受け入れ、向き合っていくことができたら良いですよね。
そうできるようになるためにも、まずは自分で自分を認める力を持つことが大切だと思っています。
なかなか自分で自分を認めるというのは難しいと思いますが、昨日より今日、今日より明日を一生懸命に生きることで、少しずつ『自分』という存在を認められるようになるのかもしれません。
日本の教育はまだまだ自己肯定感を育むには程遠いです。
子ども達ひとりひとりの感性や思考を尊重し、伸ばしていけるような教育へ変えていけるよう、今できることを頑張ります!!